ふじねこ雑記帳 in ドイツ

日々の生活、時々ドイツ語

アンネ・フランクの家を訪ねる

 

アンネ・フランクの生まれた町

世界的に有名な『アンネの日記』は、オランダ、アムステルダムの隠れ家で書かれたものですが、アンネ・フランクはフランクフルト出身です。

父親は銀行家、母親は資産家の娘で、かなりお金持ちの家に生まれたそうです。

アンネは、オランダに脱出するまでに、ドイツで3回引っ越ししています。

フランクフルト内で2回、そこからアーヘンへ1回。

今回は、そのうちの最初の2つを見に行ってみました。

 

アンネの最初の家

フランクフルトの病院で生まれた後、アンネが最初に住んだ家が、フランクフルトのMarbachweg 307のアパートメントです。

フランクフルト中心部から3kmほど北にあり、最寄り駅はU-BahnのDornbusch駅か、Marbachweg/Sozialzentrum駅で、この2つの駅のちょうど中心辺りにあります。

この辺りは、当時の高級住宅街で、医者や銀行家が住んでいたそうです。

いわゆる集合住宅ですが、裕福なフランク一家は、そのうちの2フロアを借りていました。

 

 

f:id:notizbuecher:20190329202247j:image

最寄りのDornbusch駅には、アンネと姉のマーゴット、母親が移った看板があります。

近くに、アンネにちなんだ学校もあるようです。


f:id:notizbuecher:20190329202240j:image

家を囲む塀には、このような写真もありました。

姉と、当時の友達と映った写真。

アンネの父は、写真が趣味だったそうなので、このような写真が残っているのかもしれません。


f:id:notizbuecher:20190329202230j:image

これがアンネが住んでいた家。

大邸宅に見えますが、アパートメントです。

でも、4人でこの2フロアを借りていたとは、やっぱりお金持ちだったんですね。

今でもちゃんと使われていて、一般の方が住んでいるようです。



f:id:notizbuecher:20190329202300j:image

これは、向かいにあるピザ屋さん。


f:id:notizbuecher:20190329202203j:image

近くに公園もありました。

アンネの時代もあったのかな?

 

アンネの2番目の家

最初の家から歩いて15分程の所に、アンネの2番目の家があります。

ここも、当時はファッショナブルなエリアだったそうです。

 


f:id:notizbuecher:20190329202212j:image

大きな家が並んでいます。


f:id:notizbuecher:20190329202255j:image

Ganghoferstraße。

アンネの家は、奥の少し見つけにくいところにありました。


f:id:notizbuecher:20190329202235j:image

アンネが住んでいた家。

こちらもアパートメントですが、大邸宅ですね。

真ん中で色が分かれています。

塗りなおされたのでしょうか?


f:id:notizbuecher:20190329202208j:image

アンネが住んでいたことを示す看板。


f:id:notizbuecher:20190329202151j:image

アンネの日記からの引用でしょうか。

最終的な人格形成は、自らの手によるもの。

深い。。。


f:id:notizbuecher:20190329202156j:image

別の角度から。

今は、一般の住宅と、会社として使われているようです。

 

ここから、アンネたちは父親の実家のあるWestendへ引っ越し、母親の実家のあるアーヘンへ。

そこからオランダへ移動したそうです。

 

Westendは今でも高級住宅地で、家賃の高いことで有名で、主に金融業の人が住んでいます。

 

フランクフルトの道に埋めてあるもの

ところで、フランクフルトの道を歩いていると、時々、10cm四方の金属板が埋めてあることに気づきます。

それには、人の名前と生没年、亡くなった場所が刻まれています。

これは、そこにある、もしくはあった家に住んでいた、ホロコーストの犠牲となったユダヤ人の記録です。

あのホロコーストを忘れない為に、ドイツ人が埋めたもので、Stolpersteineと呼ばれています。


f:id:notizbuecher:20190329202226j:image

 

戦争の残した負の遺産を、引き継いでいくべきだという考えは、世界共通なのだなあ、と感じました。