ふじねこ雑記帳 in ドイツ

日々の生活、時々ドイツ語

【ポーランド旅行 2】アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所を見学する

ミニバスでオシフィエンチムへ

ポーランド2日目、ホテルの朝食は6時半からでしたが、レストランはかなり混んでいました。

日本人観光客もちらほら。

ほとんどの人は、同じ所へ行くのでしょう。

 

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朝食ビュッフェ。

ポーランドでも、他の北欧、東欧と同じように、スモークサーモンやニシンの酢漬けなど、魚を保存しやすくしたものが良く食べられています。

チーズは、スモークしたものが名物のようです。


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ピクルスの種類が比較的多めでした。

 

私たちは、8時15分にホテルでピックアップしてもらう、英語ガイドのツアーに参加しました。

軽食付きで、1人185ズヴォティ。5000円ぐらい。

 

6時台に始まるツアーもかなりあります。

博物館に登録されているガイドで、日本人の方が1人いるようですが、かなり早めに予約しないと、参加するのは難しいようです。

私たちが参加したツアーのガイドさんは、英語もはっきり話していて、とても分かりやすかったです。

 

8人乗りのミニバスで、ちょっとラテン系の女性が迎えに来てくれました。

他に年配のご夫婦が参加され、5人でオシフィエンチムに向かいます。

オシフィエンチム、というのが本当のポーランド語の地名で、ドイツ語読みにしてアウシュビッツ、と呼ばれています。

 

現在残っているのは、アウシュビッツ第一収容所と、ビルケナウと呼ばれる第二収容所です。

 

アウシュビッツ第一収容所

最初に、博物館にもなっている第一収容所に到着。

 

auschwitz.org

 

現地に着いたら、蛍光グリーンのシールを胸に貼られました。

1人のガイドさんに、20人ぐらいで着いていく形で、他のバスで来た人たちと合流しました。

同じTシャツを着た、10代の子がたくさんいるなあ、と思ってみていると、どうやらイスラエルから来た学生のようです。

修学旅行の定番コースになっているとか。

自分のおじいちゃんおばあちゃんの世代の事だと思うと、辛い内容でしょうね。。。

 

博物館への入場料としては無料のようですが、登録されているガイドさん無しでは入れない仕組みになっていて、これにお金がかかります。

ネットでも予約はできるので、個人旅行で行って、現地でガイドツアーに参加することもできます。

入り口で、飛行機の保安検査のような検査が行われ、小さなバッグしか持ち込めませんでした。


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有名な、収容所への門。

Arbeit macht frei. 働けば自由になれる。。。

Bの文字が逆さになっているのは、作った人のせめてもの抵抗、と言われていますが、そういう形の字が当時流行っていたため、という説も。


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左右に延びる有刺鉄線。

高圧電流が流されていて、逃げられないようになっています。

夜、これに飛び込んで自殺する人も少なくなかったと。


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ここでは音楽隊が、入所時の演奏をしました。

収容所内では、音楽が重要な働きをしていたそうです。


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それぞれの収容所がそのまま残っており、中が博物館になっています。

 


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ドイツが支配したヨーロッパの各国から、人がたくさん送られてきました。


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ユダヤ人が110万人、他にポーランド人、ロマ、ソビエトの捕虜がここに送られました。


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収容された人々は、写真と書類で管理されていました。


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電車に詰め込まれて運ばれている途中に亡くなる人も多かったとか。


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第一収容所から3Kmほど離れたところに、広大な第二収容所が建設されています。

第三収容所は、モノヴィッツというところに作られましたが、現在は残っていません。


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ガス室に放り込まれた、毒ガスの缶。


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後で返却されるから、とだまされて没収されたスーツケースの山。

名前や生年月日が書かれています。

他にも、膨大なメガネや義足などが展示されていました。

女性から切り取った髪の毛もありましたが、遺体と同じなので、写真撮影は禁止。


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収容所の制服。

真冬にはマイナス20℃になるところで、こんな服やサンダルみたいな靴。。。


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犠牲になった人々の写真。

わずか2日で亡くなった方も。


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一日の食事。

体重が75kgあった女性が、25kgになったという事実。


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双子は集められて、非道な人体実験も行われていたそうです。


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死の壁。

銃殺が行われていました。


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絞首台。

一度に12人が殺害されたことも。

 


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この収容所の所長が、1947年に処刑された絞首台がありました。

彼は、どういう思いでここに立ったのでしょう。。。


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最初のガス室。

天井に、ガス缶を入れる穴があります。

ガス室の隣には、焼却所がありました。。。

 

アウシュビッツ第二収容所、ビルケナウ

午前のガイドツアーがちょっと長引いたようで、お昼の休憩は15分。

コッペパンのような形のサンドイッチ(チーズ、ハム入り)と、ペットボトルのお水をもらいました。

まあ、私はパンを食べないので、持ってきたリンゴをかじっていましたが。

 

その後、来た時と同じミニバスで、3㎞離れた第二収容所へ。

第一収容所から、無料のバスも出ていました。

ここは、東京ドーム37個分、9万人収容の巨大な収容所です。


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駐車場からは、少し歩きます。

電車の引き込み線が伸びるのは、収容所への門。

あの先には絶望しかなかった時代。。。


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門の先の広大な土地。

線路も続いています。


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線路が二つあるのは、効率のため。

当時、片方は空の車両、片方には人が詰められた車両が止まっていました。


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現在も残されている車両。


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線路の終わり。

この後ろにモニュメントがありました。

 

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モニュメントの前には、23か国語で書かれた石が埋められています。

もちろんドイツ語やヘブライ語も。


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4つあったガス室は、廃墟になっています。


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女性が収容された建物。


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木の板が敷かれた棚が3段。

1つの棚は150cmぐらいの幅でしょうか。

4人、ときには6人で、かける布切れも一枚で寝ていたそうです。

トイレもろくなものが無く。。。

想像もできない環境です。

 

当時の様子を語るものはほぼ何もない、ただただ広い場所でしたが、ガイドさんの話から想像をするだけで、本当に人間のしたことなのだろうか、とゾッとします。

絶望しかない環境に送られた人々のことを考えると、言葉もありません。

 

ありきたりの事しか言えませんが、この事実は語り継がれるべきだ、と強く感じました。

日本人は、年間1万人程度しか訪れないそうですが、もっと見に来てほしいと思います。